■学童ってなんだ?
500人が乗った船が、大海の真ん中で今まさに沈もうとしている。この船に備え付けられた救命ボートは10人乗りが5隻。救命ボートに乗りさえすれば、確実に命が助かる。乗ることができるのは50人。さて、自分も含め、誰を乗せればいいのだろう。
まるでセミナーかなにかで問われそうなこの設問、このまま考えを進めるにはあまりにも情報が不足している。そもそもどのような500人が乗り合わせていたのか内訳がわからない。年齢構成は?男女比率は?国籍は?政治は?宗教は?スキルは?病人は?と検討しなければならないことは山盛りある。そして、やっかいなことに導かれた答がけっして正しいとは限らない。なおかつ、緊迫した現場で、瞬時にこれらのことを整理して、誰もが納得する適切な答を見つけることはもはや不可能である。かといって、黙っているとたちまち500人の集団はパニックに陥り、われ先にと救命ボートを目指すだろう。
結果、力まかせの屈強な大人か、とんでもなく悪知恵が働く大人だけがボートを独占し、助かることになる・・・かもしれない。
さて、それでいいのだろうか?
危機に陥った人間のやることは過去に創り上げた文化や文明の蓄積を帳消しにして、同じ過ちを繰り返す。残念ながら歴史がそれを証明している。
この重大なジレンマを前にしてぼくたちにできることは何だろう?
きっと、ひとりひとりが日常の中で一度ぐらいはこのことについて考え、責任ある答を準備しておくことではないか、とぼくは思う。
実はこの問いかけはぼくたち大人がどのような社会を望んでいるのか、という問いかけに他ならない。そして同時に、次の社会を創る子どもたちに何を伝えていこうか、という問いかけでもある。もし、その答がはっきり見えるならば、学童にぼくたちが何を求めるのかということの答は、すでにそこに示されている。
学童を取り巻く社会状況はきっとこれからどんどん変わっていくに違いない。
現在、市が推し進めている民営化はもとより、大規模化もすでに着々と進行しているし、利用者の意識もずいぶんと変化していくだろう。世の中の価値観だって時代と共に変わっていく。今後予想されるそのような環境の変化のなかで、学童を考えるうえで最も大切なものは何かということについて、ぼくたち大人は責任ある答を準備しておきたい。
さて、最終回の問いかけ。
そもそも500人乗りの船に50人分の救命ボートしか備え付けられていない不備を改善すべく行動を起こす気力が持てるだろうか?
そして500人の内訳をどのように考えただろうか?
そのうち救命ボートに乗せた50人はいったいどういう人たちだったのだろうか?
最後に・・・救命ボートに自分は乗ったのか?
きっと答えるには、相当な勇気がいる・・・
最後まで読んでいただいた方々に心より感謝いたします。
8月21日(金)の代表者会議でお会いしましょう!
前野武彦